サラ金の繁栄と挫折を武富士に見る

サラ金の繁栄と挫折を武富士に見る

皆さんは「武富士」というサラ金会社をご存じでしょうか。

一時期は業界最大手といわれながら、倒産に陥ったサラ金会社(消費者金融)です。

テレビCMでもレオタード姿の「武富士ダンサーズ」と呼ばれた女性たちが登場し、お茶の間でも話題となっていました。サラ金業界の繁栄から挫折までを武富士のあゆみによりみてみましょう。

 

創業から業界トップまで

1966年(昭和41年)創業の富士商事を前身として、1968年に有限会社武富士商事が設立。
1974年に商号を「武富士」に変更し、団地金融をきっかけとして高利貸しを営業していきます。

 

個人消費の拡大という時代背景の流れに乗り、創業者の武井保雄氏の経営手腕のもと急速に業績を伸ばしていきます。芸能人を起用したテレビCMやル・マン24時間レースへのスポンサーなどでも注目を集めるようになりました。

 

1981年に融資残高1,000億円を突破、1988年には取引顧客数100万口座を突破。
1996年8月株式を店頭公開、1988年に東証一部に指定替え。

 

1995年に登場した無人契約機「¥enむすび」により利用者も増加、2002年3月期みは融資残高約1兆7,667億円、年収入高約4,232億4,600万円を計上し、長らくサラ金業界(消費者金融業界)トップ企業として君臨します。

 

ジャーナリスト盗聴事件

武富士は創業者である武井氏が一代で業界トップまで築きあげました。しかし経営方針や企業体質を批判されることも多くありました。これに対し武井氏は批判を行った出版社やフリーライターに対して名誉棄損訴訟を起こすこともたびたびありました。

 

そのなか2003年12月、代表取締役会長であった武井氏が「ジャーナリスト盗聴事件」で逮捕され、懲役3年・執行猶予4年の有罪判決を受けるという事態が発生。

 

武井氏は会長職を辞任する事態に発展しました。

 

そして倒産へ

長らく業界トップに君臨していた武富士でしたが2004年3月期には営業貸付残高トップの座を「アコム」に奪われます。

 

延滞債権、不良債権の増加を背景に貸出先を絞り込んだことで、店舗数・無人契約機台数も減少。

 

合わせて日本貸金業協会が策定した自主規制ルールに基づき社内規定の整備を実施、貸出金利上限の引き下げや総量規制の影響から、2008年3月期の年収入高は約2,694億5,200円まで落ち込みます。

 

翌2009年には資金繰り悪化により新規貸付がほとんど停止し、資金調達を急いでいると報じられました。営業貸付残高は8,615億円(前期比27.9%減少)まで落ち込み、利息返還損失引当金(いわゆる過払い金への引当金)を大幅に積み増ししたことで、約2,157億4,000万円の経常損失を計上。

 

2010年(平成22年)10月31日、東京地方裁判所で会社更生手続開始決定、事実上倒産します。

 

負債額は約4,336億円、過払い金支払対象顧客数は推計で約200万人以上、その過払い額は2兆4,000億円以上ともいわれています。その後、会社が創業家などに対して152億円の損害賠償等を請求する訴訟を提起しました。

 

その後の武富士

2012年(平成24年)3月1日、Jトラスト子会社のロプロに事業譲渡。

 

同時に事業譲渡後の旧法人はTFK株式会社に商号変更し、会社更生手続きや弁済手続きに専念します。その後、事業を引き継いだ株式会社日本保証は、2013年3月まで「武富士」の名で貸金業を営んでいました。

 

2017年(平成27年)3月17日更生手続終了、TFK株式会社は清算され法人格は消滅します。

 

以降の消費者金融事業は「日本保証のフリーローン」と改称し、2015年頃新規営業を終了。現在では不動産担保金融のみの新規事業を行っています。